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ひねり・らふ ひねり・裸婦
木内克は、書道に楷書や行書、草書など書体のちがいがあるように、絵画や彫刻にも同じような表現の幅があると述べているが、そのなかでも自分は「彫刻の草書」をやってみたいと言う。この裸婦の作品を見れば、細部の再現に力を入れるのではなく、手びねりの跡をそのまま残しながら大まかに形を捉えているのがわかる。簡略化した形態には、確かに「草書」という言葉に納得させられる自由さがある。木内は、15年にもおよぶ長いフランス留学時代に師事した、ブールデルの直接的な影響から抜け出し、素朴だが若々しい創造力と生命感を持つアルカイック期のギリシャ彫刻に惹かれ、その精神を自らのものとしようとした。粘土を焼いてつくるテラコッタと呼ばれる彫刻技法による素朴で暖かい素材感や、草書と比べられる自由で生き生きした形態を生み出すのも、この留学時代の探求が出発点となっている。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年04月11日掲載)
カテゴリー:作品
スミスとは?【 作家名 】 1904年ミシシッピー州生まれ。家政婦や庭仕事、子守などに従事していたが1975年に引退。76歳の時、息子が物置を作るつもりだったトタンを素材に、動物や人物を描き、堀に飾り始めた。周辺を明るく魅力的にしたかったと言う。その後は、庭全体を作品で飾った。1985年の卒中の発作後、制作も困難になったが、その後も活き活きと元気に過ごした。1995年逝去。「私は、ここを明るく輝かせて、神様を喜ばせたかったの。」(「アート・イン・パラダイス−アメリカのユニークな作家たち」図録 2001年) |
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