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ひねり・らふ ひねり・裸婦
木内克は、書道に楷書や行書、草書など書体のちがいがあるように、絵画や彫刻にも同じような表現の幅があると述べているが、そのなかでも自分は「彫刻の草書」をやってみたいと言う。この裸婦の作品を見れば、細部の再現に力を入れるのではなく、手びねりの跡をそのまま残しながら大まかに形を捉えているのがわかる。簡略化した形態には、確かに「草書」という言葉に納得させられる自由さがある。木内は、15年にもおよぶ長いフランス留学時代に師事した、ブールデルの直接的な影響から抜け出し、素朴だが若々しい創造力と生命感を持つアルカイック期のギリシャ彫刻に惹かれ、その精神を自らのものとしようとした。粘土を焼いてつくるテラコッタと呼ばれる彫刻技法による素朴で暖かい素材感や、草書と比べられる自由で生き生きした形態を生み出すのも、この留学時代の探求が出発点となっている。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年04月11日掲載)
カテゴリー:作品
デュフィとは?【 作家名 】 1877年フランスに生まれる。1953年没する。故郷ル・アーヴルの美術学校を経て、兵役をはさみ、パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。はじめは印象主義の影響を受けた作風で、サロンにも出品するが、1905年のアンデパンダン展で見たマティスの作品に影響されて、明るい色彩と軽快な筆使いによる作風へと転じる。セザンヌやキュビスムの影響を受けた時期もあるが、独特のリズミカルな画面を保ち、フォーヴィスムの一員と見なされる。1937年のパリ万博では、電気館のための壁画を制作、52年のベネチア・ヴィエンナーレでは国際絵画大賞を受けた。 |
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