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ひねり・らふ ひねり・裸婦
木内克は、書道に楷書や行書、草書など書体のちがいがあるように、絵画や彫刻にも同じような表現の幅があると述べているが、そのなかでも自分は「彫刻の草書」をやってみたいと言う。この裸婦の作品を見れば、細部の再現に力を入れるのではなく、手びねりの跡をそのまま残しながら大まかに形を捉えているのがわかる。簡略化した形態には、確かに「草書」という言葉に納得させられる自由さがある。木内は、15年にもおよぶ長いフランス留学時代に師事した、ブールデルの直接的な影響から抜け出し、素朴だが若々しい創造力と生命感を持つアルカイック期のギリシャ彫刻に惹かれ、その精神を自らのものとしようとした。粘土を焼いてつくるテラコッタと呼ばれる彫刻技法による素朴で暖かい素材感や、草書と比べられる自由で生き生きした形態を生み出すのも、この留学時代の探求が出発点となっている。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年04月11日掲載)
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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