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はこはそらにかえってゆく 箱は空にかえってゆく
堀内正和は1911年、京都に生まれる。戦後いち早く抽象彫刻を手掛け、幾何学的な線と面による構成を展開した後、1960年代後半になって、「だまし」や「のぞき」の要素を取り入れた知的でユーモラスな作品を生み出したが、この作品もその頃の一点である。天に向かって伸びた手が箱を支え、その中にまた手が伸びて、箱はそこから離れていく。そしてその箱の中にもまた・・・。「箱は空にかえっていく」という題名をみて、私達は一応それを納得した気にもなるが、よく考えるとなんとなく腑に落ちない。そして中へ中へとはめ込まれて消えていく箱の行方を、何度も目で追いながら、いつまで経っても疑問が解決することはない。誰にでも分かり易い形態をとりながら、作者が「明晰な神秘」と名付けた不思議な空間へと観者は引き込まれていく。そこには、表に現れない作者の深い観念が潜んでいるのである。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年01月30日掲載)
カテゴリー:作品
川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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