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みみ 耳
二十歳のころ作家活動を始めた三木富雄は、十年前に天逝(ようせい)するまで、耳を主なテーマとして制作を続けた。なぜ耳にこだわり続けたのかは、よくわからない。ただ生前、三木は「耳を選んだということ、そのこと自体が大切なのだ」と語っている。三木のつくった「耳」には一個の耳を取り上げた彫刻や、いくつもの耳をならべたレリーフ、時には切り刻んだ耳などさまざまなバリエーションがある。美術館が収蔵した作品はそれらの中でも比較的大作の一点である。三木が美術界に登場した1960年代は、熱狂的な雰囲気の中で、実験的な作品が次々と発表されていた。現在の視点から見ると、当時の熱狂とは、単なるアイデアの競争にすぎなかった側面もあり、現在も美術作品として顧みられる作品は多くない。しかし、三木の一連の「耳」は今も美術作品としての価値を保ち、見るものに快い衝撃を与え続けている。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年07月05日掲載)
カテゴリー:作品
モネとは?【 作家名 】 食品雑貨店の息子としてパリに、生まれ幼い頃から画才を発揮する。ピサロ、シスレーら後の印象派の画家と交流し、1870年には、ターナーやコンスタブルの風景画、そして日本の浮世絵に影響され、原色を用いて色を混ぜない方法を目指す。これは目の網膜に映るがままに描こうとする結果であった。1872年の〈印象ー日の出〉は印象派の名前の始まりとなった。自然が刻一刻と様相を変える瞬間をとらえようとし、〈積わら〉、〈ルーアン大聖堂〉、〈睡蓮〉などの連作を制作して印象派の代表者の一人と言われる。 |
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