![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
とるそ トルソ
抽象的な形態による表現はすべて、極めて現代的であり、伝統的なものとは何のかかわりもないと考える向きもある。しかし、日本の木彫に新しい生命を吹き込んだ植木茂の作品を見れば、そのように単純化できない現代美術の幅の広さが理解できるだろう。植木は、「日ごろ仕事として木に向かいあっていると、木が自然物であるように、人間もまたそれに変わりないという敬けんな心が沸き出してくる」と言う。そして「自然と人間との和」を探るようにして鑿(のみ)を握った。彼の自然に対する精神は、長い伝統を持つ我が国の木の文化を支えた職人たちの精神とつながっているのである。この作品は確かに抽象的だが、「トルソ」と名付けられているように、人体を表したものである。彼は、人体をテーマにして現代的な形態を探究しながら、そこに日本文化の基層と結びつく、自然と人間の調和の願いを込めている。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年08月16日掲載)
カテゴリー:作品
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||