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とるそ トルソ
抽象的な形態による表現はすべて、極めて現代的であり、伝統的なものとは何のかかわりもないと考える向きもある。しかし、日本の木彫に新しい生命を吹き込んだ植木茂の作品を見れば、そのように単純化できない現代美術の幅の広さが理解できるだろう。植木は、「日ごろ仕事として木に向かいあっていると、木が自然物であるように、人間もまたそれに変わりないという敬けんな心が沸き出してくる」と言う。そして「自然と人間との和」を探るようにして鑿(のみ)を握った。彼の自然に対する精神は、長い伝統を持つ我が国の木の文化を支えた職人たちの精神とつながっているのである。この作品は確かに抽象的だが、「トルソ」と名付けられているように、人体を表したものである。彼は、人体をテーマにして現代的な形態を探究しながら、そこに日本文化の基層と結びつく、自然と人間の調和の願いを込めている。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年08月16日掲載)
カテゴリー:作品
退廃芸術とは?【 美術用語 】 ナチスの芸術イデオロギーの標語。1933年にヒトラーが権力を握ると、それ以前のヴァイマール共和国時代に発展してきた表現主義やバウハウスなどの現代美術に「退廃芸術」の烙印を捺し、組織的に抑圧して行った。バウハウスは「文化的ボルシェビィズムの温床」として閉鎖され、現代美術運動に同調的な教師や美術館員は職を追われ、発言も封じられた。反面、運営・イデオロギーの両面で政府の統制下に置いたアカデミックな芸術を育成し、「退廃芸術」に対して「ドイツ芸術」と称した。1933年カールスルーエで開かれた「1918年から1933年までの公認美術」展を最初に、現代美術の面目を潰し愚弄しようとする展覧会が相次いで開かれるが、その頂点を成すのが、1937年ミュンヘンで開かれた「退廃芸術」展である。この展覧会のために全国から現代美術の作品が接収され、展覧会終了後、競売や画商を介して売られ、残りは1939年に焼かれた。 |
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