データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
うさみ けいじ 宇佐美圭司
1940年大阪府に生まれる。1958年大阪府立天王寺高等学校を卒業し、翌年上京した。1964年国立近代美術館京都分館の「現代美術の動向」展、65年ニューヨーク近代美術館などアメリカを巡回した「日本の新しい絵画と彫刻」展、66年国立近代美術館の「現代美術の新世代」展、67年第5回パリ青年ビエンナーレ展などに出品。1968年第8回現代日本美術展で大原美術館賞を受賞。初期は、オール・オーヴァーな抽象表現だったが、1965年頃から人型の形象が現われ、66年以降『ライフ』紙に掲載された写真からヒントを得た4つの人型を組み合わせるシステマティックなイメージを生み出し、以後それを基本的主題としている。1968年日本で最初のレーザー光線を用いた作品〈レーザー・ビーム・ジョイント〉を発表。1972年には、第36回ヴェネチア・ビエンナーレ展に出品するなど国際展や個展で発表を続けている。著書に『絵画論』『線の肖像』(ともに1980年)がある。
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
カンディンスキーとは?【 作家名 】 1866年ロシアに生まれる。1944年没する。モスクワ大学で法律と国民経済学を研究したが、1896年ミュンヘンに移ってシュトゥックについて絵を学び、ユーゲントシュティール、印象主義、ロシア民芸の影響がつよい作品を制作した。1909年「新芸術家協会」を設立。翌年水彩画による最初の抽象画を制作。この頃『芸術における精神的なもの』を執筆。1912年『ブラウエ・ライター(青騎士)』誌を刊行。1914年ロシアに帰り、革命後モスクワ大学教授となる。1921年ドイツに戻り、1922年から33年までバウハウスで教鞭をとった。1933年パリに亡命。作風は、1910年代は激しい色と形による「ドラマティックな時代」、20年代は「コンポジション時代」から「円の時代」へと移行し、晩年は「具体芸術の時代」へと展開した。ミュンヘンのレンバッハ画廊、パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に主なコレクションがある。抽象絵画の創始者として、20世紀美術にかけがえのない足跡を残した。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||