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どうげん-とうぞう- 『道元』-頭像
気味の悪い頭像である。道元は『正法眼蔵』を著した曹洞宗の開祖。鎌倉時代を代表する宗教家であり、日本人として希有な思想家。これは、もはや単なる頂相ではありえない。道元の遍歴と細川の心的遍歴は重なり、苦渋の表情をとる。「現代芸術咀嚼の上に新しい人間像を謳い上げて行く道を見出す事以外無い」と細川は思った。(「コレクションによる特別展示 人間像のゆくえ」展図録、1995年)
カテゴリー:作品
横山大観とは?【 作家名 】 1868年、常陸国(ひたちのくに、現・茨城県)に生まれる。1958年没する。幼名秀蔵、秀松、のちに秀麿。旧姓は酒井。結城正明に学んだ後、東京美術学校(現・東京藝術大学)に1期生として入学。橋本雅邦、岡倉天心の指導を受ける。卒業後、東京美術学校助教授となるが、天心に殉じて辞職し、日本美術院の創立に参加。正員、評議員となる。美術院の茨城県五浦への移転を経て、文展(文部省美術展覧会)が開催されると審査員もつとめた。天心の没後は、文展を離れ、日本美術院を再興。一貫して指導的立場にあった。帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員などを歴任し、第1回文化勲章を受章。近代の日本画を代表する画家といえる。 |
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