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あるちょうこくかのかお ある彫刻家の顔
鈴木治は、伝統色の強い京都にありながら、走泥社の結成や現代美術懇談会への参加など、陶による新しい表現を開拓している作家である。しかし、その表現は奇抜なものではなく、抽象でありながら具象的なイメージをも想起させる親しみやすさを持ち、その活動は高く評価されている。この作品の題名の「ある彫刻家」とは、鈴木と親交の深かった、同じく京都で陶による造形を展開させた彫刻家の辻晋堂である。この作品は、三角形と四角形の組み合わせによる抽象的な造形でありながら、辻の風貌を非常に良く表現しているといわれる佳作である。
カテゴリー:作品
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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