![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
かなやま へいぞう 金山平三
1883年兵庫県に生まれる。1904年立教中学を卒業、東京美術学校西洋画科本科に入学する。在学中、成種優秀のため特待生となる。1912年渡欧。滞仏中は島崎藤村などとも親交。4年におよぶ滞仏期間中、2年半は旅行にあて1915年帰国。翌年第10回文展に特選となる。1922年パリで開かれた「日本美術展覧会」に出品。1920年以降、帝展審査委員を歴任し、1944年帝室技芸員、1957年日本芸術院会員となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
オートマティスムとは?【 美術用語 】 自動(記述)法と訳される。厳密には「シュルレアリスム宣言」に「理性によるいっさいの統制なしに、かつ美学的、倫理的ないっさいの先入観なしに行われる思考の真実の書きとり」とあるように、意識下の世界を探求するために用いられる方法。この用語はピカビアのインクのしみとか、紙切れを無造作に落すアルプの方法などのように、意図的に偶然の要素を開発する方法にも適用され、1940年代初期のニューヨークのシュルレアリストたちに重要な原理として引き継がれた。その後のアクション・ペインティング、アンフォルメル芸術は、どちらも絵をかく過程を自動的な精神の即興、つまり画家の内的な心の状態を表現する手段とみなしていたので、オートマティスムを自らの特質として受け入れた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||