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ふたつのりんご 2ツのリンゴ
わが国には、浮世絵版画をはじめとした木版画の長い伝統があるが、現代の版画家たちは伝統的な技法だけで満足することなく、常に新しい技法を開拓し、表現の幅を広げている。徳島県出身の木版画家、吹田文明もその代表的な作家である。たとえばこの作品の木目のある美しい色彩も、水性絵の具と油性絵の具を併用する独自の技法で生み出された。金ブラシで立てた木目の間に油絵の具をつめ、プレス機の強い圧力で木目を刷り取る。しかも、紙にしみ込む性質のある水性絵の具で刷った上に油性絵の具を刷り重ねることによって、作品に豊かな色彩の幅が与えられている。この技法によって、リンゴや蝶などの具象表現だけでなく、花火や宇宙を連想させる抽象表現にも、華麗な色彩のハーモニーと引き込まれるような心理的空間がつくられる。吹田は、木版技法の可能性を開拓しながら、伝統にない現代の表現を探求している。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年07月25日掲載)
カテゴリー:作品
紫派とは?【 美術用語 】 黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向とその画家たちを指す。ラファエル・コランに学んで1893年帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派と呼ばれる褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ。 |
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