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ざ しぐにふぁいど おあ いふ なんばー5 The Signified or If No.5
〈意味されるもの あるいは もしも No.5〉素直に画面に向かうと、私たちの視線は画面の左から右へと流れていきます。なぜならば、画面の左から解き放たれた線が空間を細かく刻むでもなく、重なり合いながらも大らかに拡散してゆくからです。画面中央での途切れも、地の色のトーンの変化も、その邪魔にはなりません。そして次に、明るい側に描かれた文字に目をとめます。エッチングによってきりりと描かれた線の下に、淡く刷り込まれた文字。私たちはその文字が示す内容を読みとろうとするでしょう。何と書かれているのかしら。この瞬間、私たちは描かれたものを書かれたものとして解読することになるのです。画面に示された文字は、ことばとして意味を持ちます。けれども、その意味するところは・・・消滅。ことばは拡散の中へと消滅しています。1936年生まれの荒川は、ネオ・ダダ・オルガナイザーを結成して、実にワイルドに私たちの前に現れました。その作品にはことばと図式へのこだわりが色濃く見られます。(吉原美惠子「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年05月30日掲載)
カテゴリー:作品
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バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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