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あるしゅのかんけい ある種の関係
池田満寿夫は、版画の制作だけでなく、絵画、陶芸、小説、映画など多様な活動をみせている。しかし、かれの芸術家としての原点が版画にあることはまちがいない。1960年の東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞を受けた後、国内外の展覧会で受賞を重ね、1966年にはヴェネチア・ビエンナーレで版画部門国際大賞を受賞し、今に続く華々しい活躍の地歩を築いた。<ある種の関係>は、大賞受賞作の一つである。この作品は、銅版画の技法のなかでもドライポイントとルーレットを主体としている。ドライポイントでは鋼鉄製の針で直接、銅板に描画するため、描画された線に沿って細かいささくれができる。彼は、そのささくれがつくる味わい深い線とルーレットによる色面を組み合わせながら、現代の人間を諧謔(かいぎゃく)味を加えて描きだし、高い評価を得た。満足な技法書もなかった時代、試行錯誤の探求が開花したのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年09月19日掲載)
カテゴリー:作品
ポロックとは?【 作家名 】 1912年アメリカに生まれる。1956年没する。1930年に西部からニューヨークのアート・スチューデント・リーグに入学、トーマス・ベントンに学ぶ。1930年代から40年代の初めにかけてはメキシコの壁画運動やピカソの〈ゲルニカ〉、ミロなどに触発され、激しくうごめく生き物のイメージを描く。また、アルコール中毒の精神分析治療を受けた彼は、シュールレアリスムにも興味を引かれる。1946、47年頃から床にひろげたキャンバスに棒などから絵具をしたたらせてオールオーヴァーに描く、ドリップペインティングを始める。時には巨大なキャンバス上で、身体全体を使って描く行為それ自体がイメージをしぼり出していくのである。1956年夏、44才の時に、ニューヨーク近代美術館での回顧展を前にして自動車事故で死亡、戦後アメリカ美術の伝説となった。デ・クーニングと共に、抽象表現主義の代表者として評価は高い。 |
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