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あるしゅのかんけい ある種の関係
池田満寿夫は、版画の制作だけでなく、絵画、陶芸、小説、映画など多様な活動をみせている。しかし、かれの芸術家としての原点が版画にあることはまちがいない。1960年の東京国際版画ビエンナーレで文部大臣賞を受けた後、国内外の展覧会で受賞を重ね、1966年にはヴェネチア・ビエンナーレで版画部門国際大賞を受賞し、今に続く華々しい活躍の地歩を築いた。<ある種の関係>は、大賞受賞作の一つである。この作品は、銅版画の技法のなかでもドライポイントとルーレットを主体としている。ドライポイントでは鋼鉄製の針で直接、銅板に描画するため、描画された線に沿って細かいささくれができる。彼は、そのささくれがつくる味わい深い線とルーレットによる色面を組み合わせながら、現代の人間を諧謔(かいぎゃく)味を加えて描きだし、高い評価を得た。満足な技法書もなかった時代、試行錯誤の探求が開花したのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年09月19日掲載)
カテゴリー:作品
ルペールとは?【 作家名 】 父、フランソワの下で修業を積み、幼いルペールは13歳で『マガザン・ピトレスク』誌や『イリュストラシオン』誌のために挿絵を描き始めた。1879年以後、木版工房を設立したが、1885年にオリジナル版画をつくることに専念した。ルペールは木版画の復興に力となって、日本から学んだ板目木版の技法や水性インクの使用法を開発した。彼の作品を通してシャルル・モーラン、アンリ・ゲラール、アンリ・リヴィエールなどの芸術家たちがその技術を取り入れた。ルペールは1888年に『エスタンプ・オリジナル』誌を発行し、1889年には画家=版画家協会、1896年には木版画家同業協会の創立メンバーとなり、『版画(イマージュ)』誌の創刊を手伝った。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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