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しるくすくりーんなんばー82 シルクスクリーンNo.82
鮮やかな色調の切り絵細工のような作品です。あるいは万華鏡の中をのぞいて見たような、そんな印象を持ったでしょうか。いくつもの同心円と六角形のパターン。散在する小さな円と、縦・横・斜めに画面上を駆け巡る線。よく見ていると色々なものに見えてきて、絵の前でしばらく立ち止まってしまいます。色の細かな破片たちが、画面のあちこちでさざめきあっているようです。色数もさほど多くはないのに、絶妙な色のバランスで、華やぎがあります。オノサトトシノブのこのような絵は、幾何学的抽象としばしばいわれています。戦前彼は、構成主義やキュビスムの影響を受け、その後、単純な形態の中でもとりわけ円に興味を示しました。そして幾何学的な形態の繰り返しの中に線やかたち、色の個性をくるみこんで、独自の作風を確立しました。ふつう、幾何学的抽象というのは「冷たい抽象」だと言われますが、彼の作品は観る者に手を差し出して、交流を求めているようです。(吉原美惠子「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年06月06日掲載)
カテゴリー:作品
マッキントッシュとは?【 作家名 】 1868年イギリスのグラスゴーに生まれる。アラングレン・ハイスクールを卒業。1884年ジョン・ハッチスンの事務所に入ると同時にグラスゴー美術大学夜間部に入学。在学中より、ハーバード・マックネア、マーガレットおよびフランシス・マクドナルド姉妹とともに活動、〈ザ・フォー〉と呼ばれる。(1898年解散)1896−1911年、キャサリン・クランストン所有のアーガイル・ストリートのティールーム(1897年)に代表される、一連のティールームのデザインを手掛ける。1900年ウィーンにおける第8回分離派展にその年結婚したマーガレット・マクドナルドとともに招待され出品。1896年グラスゴー美術大学、1901年ヴェルンドルファーのミュージック・サロン、1902年ヒル・ハウス等設計。1923年以降は南フランスのポール・ヴァンドレに移住し主に水彩画に取り組む。1927年舌ガンに冒され帰国。1928年ロンドンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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