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しるくすくりーんなんばー82 シルクスクリーンNo.82
鮮やかな色調の切り絵細工のような作品です。あるいは万華鏡の中をのぞいて見たような、そんな印象を持ったでしょうか。いくつもの同心円と六角形のパターン。散在する小さな円と、縦・横・斜めに画面上を駆け巡る線。よく見ていると色々なものに見えてきて、絵の前でしばらく立ち止まってしまいます。色の細かな破片たちが、画面のあちこちでさざめきあっているようです。色数もさほど多くはないのに、絶妙な色のバランスで、華やぎがあります。オノサトトシノブのこのような絵は、幾何学的抽象としばしばいわれています。戦前彼は、構成主義やキュビスムの影響を受け、その後、単純な形態の中でもとりわけ円に興味を示しました。そして幾何学的な形態の繰り返しの中に線やかたち、色の個性をくるみこんで、独自の作風を確立しました。ふつう、幾何学的抽象というのは「冷たい抽象」だと言われますが、彼の作品は観る者に手を差し出して、交流を求めているようです。(吉原美惠子「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年06月06日掲載)
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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