![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
しろいひ 白い日
1940年旧満州国奉天に生まれた清塚紀子は、東京芸術大学大学院を68年に修了し、70年から本格的に版画作品を発表し始める。初期の1970年代前半には、日常的な風景の断片が様々な手法で画面上に再構成される作風を展開した。この<白い日>もそうした中の一点である。一人の女性が膝の上に篭をのせて腰掛けているようだが、表情や細かなしぐさまでは見えてこない。彼女の居る場が室内なのか屋外なのか、空間的な奥行きをもつのかどうかさえはっきりとは分からない。複数の銅板技法によって描き出された幾つかの異質な素材感が、静かに、この場を成立させている。画面上に呼び戻された或る一日の記憶が、ちょうど私たちもよく体験するように、思い出せそうでいて確かな像を結ばず、ぼんやりとした後味だけを漂わせている、そんな雰囲気がある。記憶の肌ざわりとでも言えるようなものを感じさせる作品である。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年03月14日掲載)
カテゴリー:作品
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||