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きつねとぶどう(ら・ふぉんてーぬぐうわ) 狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)
日本版画倶楽部を結成するなど創作版画運動を推し進めていた長谷川は1918年単身渡仏、以後、死ぬまで一度も帰国することなく制作に打ち込み、フランスで巨匠としての地位を築いた。彼の最大の業績は、長く忘れられていたマニエール・ノワール(メゾチント)という銅版画の技法を復活させ、そこに現代の生きたいのちを吹きこんだことである。〈狐と葡萄〉もマニエール・ノワールによって制作されている。ラ・フォンテーヌの寓話集からヒントを得た葡萄とおもちゃの狐が、この技法独特のち密な表現と厳密な画面構成によって、古典的な品格を醸し出しながら描かれている。彼の作品には、洗練されたフランス的感性とともに、微妙な白黒の階調に東洋画に通じる要素を見いだせるが、古い技法を自己のものにしようとする長い誠実な探究によって、西欧とも東洋とも言いがたい独自の作風を生み出した。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年10月11日掲載)
カテゴリー:作品
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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