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なまけもの なまけもの
現代美術の第一線で活躍している泉茂は今日、幾何学的な形態の作品を描いている。具象性を排した抽象的画面から、「光・風・水といった自然を感じさせるメッセージ」が伝えられ、多くのファンを魅了している。しかし、彼の画業には、このような版画を制作の中心にした時期があった。戦後の前衛的な美術運動であるデモクラート美術協会で活動したのが、その時期である。版画の分野でも大きな業績を残したこのグループは、池田満寿夫など重要な版画家を輩出しているが、泉はそのなかでも代表的作家と言える。これは、ベンチに座る女性を写実的に描いたもののようだが、よく見ると、人の足とベンチの足が同一であるなど、不思議な要素が隠された作品である。具象的な形と空想的なイメージが混在し、ユーモラスだが、底知れない幻想感のただようこの期の版画の魅力が見てとれる。ここには、常に新たな表現を追求している泉の初期の姿がある。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年05月17日掲載)
カテゴリー:作品
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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