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こんせくえんす3 Consequence 3
画面の上を無数の線が走っている。よく見ると数本の線が寄り集まって束になり、その束がまた寄せ集められて一つの組織体を作っている。あたかもそれは、電子顕微鏡で捕らえられたミクロの世界での生命活動のようでもある。こうした微視的な世界を、作者は銅板画の一種であるエングレーヴィング技法によって描出する。画面を覆う無数の線の一本一本は全て、作者がビュランと呼ばれる鋭い彫刻刀で銅板に刻みつけたものである。慎重にゆっくりと彫り進められた精緻な線の集合は、見る者に凝縮されたエネルギーの緊張感を伝えてくる。標題のコンセクアンス(帰結)とは、神秘的な生の営みが静かに脈打ち、流れる様を意味しているのかもしれない。作者の木原康行は1932年北海道生まれ。武蔵野美術大学を卒業し、パリの有名な版画工房「アトリエ17」で銅板画を学んだ。エングレーヴィング版画の代表的な作家として知られている。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年04月18日掲載)
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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