ビロードのようにきめ細かな闇(やみ)を背景に娘は手元を見つめている。袖(そで)の所々を写し出す明るい光と闇のコントラストが美しい。油絵から出発した斉藤は若いころキュービズムから
アンフォルメルまで、幅広く吸収しながら可能性を探っていた。ところが36歳の時、自分の
抽象作品を見ているうちに、どうしようもない嫌悪感に襲われたという。彼の述懐によれば「
抽象に疑問を持った」ということになるが、もっと彼自身の根底に触れる問題だったのだろう。本格的に
銅版画を始めたのはその時から。
メゾチントという技法を使ってルネッサンス期(ヨーロッパの15−16世紀)の画家たちのイメージを借りた作品を創りはじめた。この作品にもどこか古典的な雰囲気が漂っている。斉藤の作品は愛好家の間で非常な人気を集めている。斉藤が持った
モダニズムへの疑問は、現代人にとって共通の疑問なのかも知れない。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年05月10日掲載)