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ぼたんみっつ 釦三つ
ビロードのようにきめ細かな闇(やみ)を背景に娘は手元を見つめている。袖(そで)の所々を写し出す明るい光と闇のコントラストが美しい。油絵から出発した斉藤は若いころキュービズムからアンフォルメルまで、幅広く吸収しながら可能性を探っていた。ところが36歳の時、自分の抽象作品を見ているうちに、どうしようもない嫌悪感に襲われたという。彼の述懐によれば「抽象に疑問を持った」ということになるが、もっと彼自身の根底に触れる問題だったのだろう。本格的に銅版画を始めたのはその時から。メゾチントという技法を使ってルネッサンス期(ヨーロッパの15−16世紀)の画家たちのイメージを借りた作品を創りはじめた。この作品にもどこか古典的な雰囲気が漂っている。斉藤の作品は愛好家の間で非常な人気を集めている。斉藤が持ったモダニズムへの疑問は、現代人にとって共通の疑問なのかも知れない。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年05月10日掲載)
カテゴリー:作品
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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