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にっき1987ねん 5がつ 30にち かしわしきっこうだい2-12-4 日記1987年5月30日、柏市、亀甲台、2-12-4
野田哲也は、1968年の東京国際版画ビエンナーレ展で大賞を受賞した。日本の伝統的な木版画と写真を使ったシルクスクリーンを併用した独自な表現が高く評価された。受賞作は家族の日常風景をとらえたものだが、彼はそのモチーフを、今日まで一貫して追求している。「ぼくは自分の日記として、作品を使ったのです」と彼自身が言うように、写真の映像も使いながら、まるで絵日記を描くように、作品をつくり出す。子供たちの成長する姿がつづられ、妻と自身の姿が描きとめられる。この作品でも、タイトルが示すように、1987年5月の自宅での平凡な一瞬が表されている。現代美術では、写真のイメージを使うことも多いが、野田の場合、それを刻々と移りかわる個人的な日常を、永遠に定着させるようにして使う。そして、和紙を利用した独特な版画技法により、写真では得られない魅力を持つ作品に仕上げているのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年05月03日掲載)
カテゴリー:作品
帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 |
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