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きゅうとくしまじょうおもてごてんていえん 旧徳島城表御殿庭園
吉原英雄は、1965年頃からエッチング、アクアチント、ドライポイントなどの銅版画の技法をリトグラフに併用して、独自の版画の世界を展開している。日常的なモチーフをアレンジして現代人の心理を描き、シャープで鮮麗な色彩と空間の広がりを持つ構成は巧みである。この作品は、〈吉野川から眉山を望む〉とともに、徳島市から制作依託を受けてつくられたもので、水をテーマにして春と秋が描かれている。吉野川の雄大な流れの向こうに眉山を望む春の景色と、水を使わないでみなぎる水を表現した枯山水の秋の景色が、豊かな水の街・徳島の象徴として対比されながら表現されている。
カテゴリー:作品
川合玉堂とは?【 作家名 】 1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳、菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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