![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
はんがしゅう やそじゅうにしとはんがさく こずかたしょう だいおんせいしゅじゅうにしとはんがきょうさく 12.しもん しもんのさく 版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵
サンパウロやヴェネツィアのビエンナーレで受賞した〈二菩薩釈迦十大弟子板画柵〉をはじめ、仏教の世界をテーマにすることの多い棟方が、キリスト教の12使徒を題材にした12点組の木版画である。1953年の日展入選作。56年のヴェネツィア・ビエンナーレにも出品。〈十大弟子〉の場合と同様に、宗教的な意味合いではなく、ただ人間の姿を作ったものである。使徒の個々の名前はあとで付ければよいと考え、板にまかせて制作された。単純化された簡潔な線が素朴な力強さを感じさせる点に棟方らしさがよく表れている。また、異国的な雰囲気の作品も含まれており、今までの人間像とは異なった姿を目指した意欲あふれる名品といえる。この作品は刷り数が極めて少なく、12点そろっているのは数セットといわれている。そのなかでもこの作品は、作家本人による刷りであり、また1点ごとに個々の使徒名が明記されているなど、希少価値が極めて高い作品である。
カテゴリー:作品
伊上凡骨とは?【 作家名 】 1875年徳島市中常三島に生まれる。1933年没する。本名は、純三(蔵)徳島高等小学校卒業後、17歳の年に上京し、木版画の彫刻大倉半兵衛に師事する。はじめは伝統的な版木の彫刻技術を学ぶが、やがて洋画の複雑な筆触や色彩を木版で再現することに熱中する。1902年雑誌『美術新報』のために三宅克己の水彩画に版木に仕立てのを皮切りに『明星』『白樺』などの雑誌の挿絵やカットを制作する。伊上の技術は当時神技とさえうたわれ、明治から大正にかけてこの道の第一人者であった。凡骨の雅号は与謝野鉄幹の命名による。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||