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ハルス



ハルトフ



春日蜿々(白梅)



ハロルドジェニングス



版画集『大鴉』『大鴉』表紙



版画集『大鴉』胸像の上の大鴉−「パラスの像へと降り立った……」



版画集『大鴉』飛翔する大鴉:書票



版画集『大鴉』窓辺にて−「ここに私は鎧戸を開け放った……」



版画集『大鴉』椅子−「床の上に漂いつつ横たわるその影……」



版画集『大鴉』ランプの下で−「嘗て物寂しい真夜中に……」



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉1. フィリポ 邊梨保の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉10. タダイ 多駄伊の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉11. ヤコブ 也胡武の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵


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はんがしゅう やそじゅうにしとはんがさく こずかたしょう だいおんせいしゅじゅうにしとはんがきょうさく 12.しもん しもんのさく

版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵

作家名:棟方志功
制作年:1953年
技 法:木版 紙
サンパウロやヴェネツィアのビエンナーレで受賞した〈二菩薩釈迦十大弟子板画柵〉をはじめ、仏教の世界をテーマにすることの多い棟方が、キリスト教の12使徒を題材にした12点組の木版画である。1953年の日展入選作。56年のヴェネツィア・ビエンナーレにも出品。〈十大弟子〉の場合と同様に、宗教的な意味合いではなく、ただ人間の姿を作ったものである。使徒の個々の名前はあとで付ければよいと考え、板にまかせて制作された。単純化された簡潔な線が素朴な力強さを感じさせる点に棟方らしさがよく表れている。また、異国的な雰囲気の作品も含まれており、今までの人間像とは異なった姿を目指した意欲あふれる名品といえる。この作品は刷り数が極めて少なく、12点そろっているのは数セットといわれている。そのなかでもこの作品は、作家本人による刷りであり、また1点ごとに個々の使徒名が明記されているなど、希少価値が極めて高い作品である。


カテゴリー:作品
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藤島武二とは?【 作家名 】

鹿児島県鹿児島市に生まれる。初めは日本画を志し郷里で修業。上京し明治18年(1885)川端玉章に入門する。しかし明治23年洋画に転じ、同郷の曽山幸彦の指導をうけ翌年には明治美術会の会員になる。その後山本芳翠らに学び、明治29年黒田清輝らの白馬会の結城に参加する。同年東京美術学校洋画科の助教授となる。黒田からは外光派描写の影響を受けるが、生来の浪漫的、装飾的な変質は変わらなかった。明治38年文部省の命で43年まで渡欧しアカデミズムを学び、帰国後は東京美術学校教授となる。その後は官展を中心に我が国洋画画壇の指導的な役割を担った。作風は帰国後の模索の時代を経て、東洋的な人物画を描く。大正8年(1919)帝展審査員、同13年には帝国美術院会員となる。昭和に入って3年(1928)には皇室から委嘱のあった作品の題材を求めて、日本各地は言うに及ばす、台湾、蒙古、満州と取材旅行して数々の風景を描いた。昭和9年には帝室技芸員、同12年には第1回の文化勲章を受章した。

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