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きゃんべら #2 CANBERRA #2
武蔵篤彦は1970年代後半のアメリカで版画を学び、コラグラフやリトグラフの技法で制作してきました。即興的なタッチ、折り重なる色彩を活かした表現は今日まで一貫した特徴です。版画と並行してドローイングの発表も続けています。 40歳の時、作家は客員講師としてオーストラリアに11ヶ月間滞在しました。延々と続くユーカリ林と大地、そのグレー掛かったグリーンが眼をとらえたと言います。この作品は、キャンベラの気候から抱いた心象を表したシリーズの1点です。 布かひもを貼ったような絵柄が見えるのは、コラグラフによります。板に何かを貼ったりペースト状の材料で筆跡を付けたりして、自在な凹凸を作ることができる方法です。 ここで作家は、10枚の版から3枚を組み合わせるというルールで、毎日1点ずつ異なる作品を制作しました。その日その日の気分やひらめきを元に、色彩が幾重にも浮かび上がって見えるような複雑なニュアンスが生み出されています。主な版を決めず「カオス状態のまままとめたかった」と作家は語っています。版を使ってしか作れない絵、そして漠としたヴィジョンの定着にこだわる、作家の思いを感じさせる言葉です。
カテゴリー:作品
リプシッツとは?【 作家名 】 1891年リトアニアに生まれる。1973年没する。(イタリア、カブリ)本名ハイム・ジャコブ・リプシッツ。建築を学んだ後1909年パリに出て、エコール・デ・ボザールで彫刻と素描を学ぶ。1912年頃からモンパルナスに住み、エコール・ド・パリの作家達と交流する。1913年から形態を幾何学的に還元した彫刻を制作、15年からは人体をモチーフとした彫刻を制作、キュビスムの彫刻家と目されるようになる。1920年ローザンベール画廊ではじめての個展を開き、22年バーンズ財団の依頼で、ペンシルバニアに石の大型レリーフを制作する。1920年代以降は、自ら「透明彫刻」と名付けた軽快な線的彫刻を制作し、彫刻に新しい地平を開く。1930年代になると、作風は次第に有機性と神秘性を加え、闘争や抱擁をテーマにうねるような量塊によって深い感情表現を追求する。1941年以降ニューヨークに定住し、戦後はアメリカ各地に数多くのモニュメントを制作する。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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