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ふうけい 風景
画面にサインとともに「1893」の書込のあるこの作品は、三宅克己の初期の画風を知るうえで重要な作品である。1893年(明治26年)は、原田直次郎の画塾鐘美館に席を置きながら、表現の方向を模索していた時期に当たる。前年には、イギリス人の画家、アルフレッド・パーソンズの水彩画を見て大きな触発を受けている。褐色を主調としながらも明るく鮮やかな色彩を加えた表現は、パーソンズなどに影響を受けたこの期の画風の特徴と言えよう。
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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