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ほくべいかしゅうさんでごのこうえん 北米加州サンデゴの公園
この作品は、三宅による作品裏面の書込から、夏のサンディエゴ公園を描いたものであることがわかる。彼は、1927年に2度目のアメリカ旅行をおこなっているが、その時の取材に基づくものである。アメリカ西海岸のカリフォルニア州を訪ねたこのスケッチ旅行で、三宅は多くの作品を描いた。帰国後も、取材の成果を示す本格的な水彩画を制作し、帝展にもその成果を発表している。これはそのなかでも優れた一点と言えるだろう。カリフォルニアの夏の光線と空気を、奥行きのある遠近感のなかに捉えている。
カテゴリー:作品
森田恒友とは?【 作家名 】 1881年埼玉県に生まれる。上京して小山正太郎の不同舎に入門。東京美術学校西洋画科にすすみ、卒業後進学していた研究科を1907年(明治40)やめ、石井柏亭、山本鼎らと同人雑誌「方才」を創刊する。また詩人北原白秋らとパンの会を起こす。同年開設された文展に入選。その後一時、秋田や大阪で教員や新聞社に就職するが再上京し、1914年(大正3)渡欧する。帰国後は、セザンヌやドーミエ、またキュビスムに影響された作品を発表する。翌年、二科会の会員になる一方、院展洋画部に出品し、翌年同人に推挙される。また同年、小川芋銭、川端龍子、小川千甕らとともに日本画家の団体珊瑚会を結成。しだいに水墨画家の活動もはじめる。1917年、院展に専念するため二科会を退会。1920年には院展同人とともに日本美術院を脱退、1922年春陽会を結成し、以後ここを中心に活動する。1932年(昭和7)食道癌のため入院し、翌年逝去。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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