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あかぎ やすのぶ 赤城泰舒
1889年静岡県に生まれる。1904年静岡中学を病気で中退し、葉山に転地療養。この頃水彩画を始める。1906年、大下藤次郎の内弟子となり、水彩画講習所および太平洋画会研究所に学ぶ。1909年第3回文展に初入選、以後文展、帝展、新文展に出品する。1913年日本水彩画会を結成、評議員となり毎年出品。1918年光風会会員となる。1921年文化学院創立に際し、絵画科を担当。1926年水絵連盟を結成。1942年女子美術専門学校講師となり、戦後は日展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
サンブとは?【 作家名 】 ダカールに生まれる。ダカール大学で哲学と法律とを修め、さらに、同地のエコール・デ・ボザールで美術を学ぶ。ラボラトワール・アジという美術、音楽、映画、演劇などあらゆる分野の作家たちの集めたグループの実質的な主宰者として、作家たちの精神的支柱となっている。彼はアフリカ諸国やヨーロッパを渡り歩き、現在ダカールにおいて、画家、彫刻家としても活躍している。身辺の社会的テーマを扱う彼の表現方法はインキ、グワッシュ、油彩、コラージュなど多岐にわたり、さらにインスタレーション、パフォーマンスといった空間表現も取り入れている。ダカールの中心街の一角ジュール・フェリー街の彼の家の庭は、ダカールの作家の集会所を兼ねており、今日のセネガル、ひいてはアフリカにおける現代美術の発信源となっている。彼はヨーロッパに出品されるアフリカの現代の作品は、結果的にヨーロッパのために造られた作品でしかないとしている。それはヨーロッパへの批判であると同時に、ともすれば白人たちに媚びがちな今日のアフリカ美術への痛烈な批判でもある。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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