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三宅克己とは?【 作家名 】
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1874年徳島県に生まれ、1954年に没した。旧徳島藩江戸留守居役だった父が、蜂須賀家の養育係となったため、6歳のとき家族で東京に移住。近所には、洋画家・
高橋由一の画塾があり、絵に関心をもつようになったと言われている。大野(曽山)幸彦、原田直次郎に洋画を学ぶが、来日中のイギリス人画家ジョン・ヴァーリー(バー
レイ)の
水彩画に感動し、
水彩画家を目指すようになった。1897年、アメリカに渡り、一時イェール大学付属美術学校でも学んでいる。翌年
ロンドンに移り、フランスや
ベルギーを経て帰国。その後、日本各地はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、中国へたびたび出かけ、風景画を描き続けた。1899年白馬会会員。同会の解散後は、光風会の創立に参加。1907年に
文展(文部省美術展覧会)が開設されると、第一回展から出品し、以後、
文展や
帝展(帝国美術院美術展覧会)、新
文展、戦後の日展で活躍。1915年の
文展で2等賞(最高賞)を受賞。翌年から無鑑査となり、
帝展、新
文展では審査員もつとめた。
水彩画を独立した洋画の一分野ととらえ、透明水彩の繊細な表現を追求するとともに、
水彩画に関する著書を多数刊行するなど、
水彩画の普及に尽力した。昭和初期には、写真に関する啓蒙書も執筆。晩年の1951年、日本芸術院恩賜賞を受賞している。
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