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たなか ぜんのすけ 田中善之助
1889年京都府に生まれる。1905年聖護院洋画研究所で浅井忠の指導を受ける。翌年から浅井忠の内弟子となって関西美術院の展覧会等に出品を続けた。1910年「黒猫会」、翌年「仮面会」の結成に参加。1920年渡仏、帰国後の1922年、関西美術院教授となる。1923年の春陽会第1回展に客員として滞欧作を出品、翌年から春陽会会員となる。1932年新興美術協会を創立、1935年に創設された京都市美術展では第1回展から審査員をつとめる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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