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らふ 裸婦
オランダは歴史的に、抽象画家モンドリアンのような理知的性格とともに、ゴッホにみられる情熱も生み出してきたが、後者をアペルは受け継いでいると言えるだろう。彼の作品は、動物や鳥、子供などをモチーフとして、激しい筆触と鮮やかな色彩で描いた表現主義的な作風を特徴としている。これは彼がアムステルダムからパリに出て、活躍の場を広げていた時に制作した裸婦像で、原始的とも思える激しいエネルギーが見てとれる。しかし、それは破壊的なものでなく、生命に対する肯定的な姿勢であることを見逃してはならない。戦後の欧米では、フランスのアンフォルメル(不定形絵画)やアメリカの抽象表現主義が、表現主義の美術運動として知られているが、アペルはそれよりもひと足早く、仲間とコブラ・グループを結成し、活躍していた。近年の彼に対する評価の高さは、その先駆性からもうなずくことができよう。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年02月14日掲載)
カテゴリー:作品
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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