![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ねっけつかん 熱血漢
デュビュッフェが絵に専念するようになったのは、戦後間もない41歳のころである。最初は、当時の世界をせっけんしていたアンフォルメル(非定形)の画家として注目されたが、やがて独自の画風を打ち立てた。この作品は一見すると子供の落書きのような軽さがある。しかし実はこれが彼の目指したものなのである。彼は文化的、芸術的な伝統が人間を疎外していると考え、フランスの民芸や未開人の芸術、子どもの絵などを積極的に取り入れることで、それらの制約から逃れようとした。そして制作の現場では直感や偶然性、即興性をできるだけ大切にした。この作品をよく見ると、描いては塗りつぶし、夢中で制作している彼の熱中ぶりが伝わってくるかのようである。また、それでいて無駄な表現が全くなく、完成された技法の確かさを示している。ややサイズは小さいが、最も彼らしい作品だといえよう。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年06月07日掲載)
カテゴリー:作品
クルト・シュヴィッタースとは?【 作家名 】 1887年ドイツ北西部のハノーヴァーに生まれる。1919年にハノーヴァーでダダ運動を起こし、個人誌「メルツ」を刊行する。「アブストラクション・クレアシオン」にも参加、ダダから出発し、コラージュの使用など抽象を独自に消化した作風で知られる。コーランはイスラム教の教典の名。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||