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くうきのけんちく;ANT 119 空気の建築;ANT 119
イヴ・クラインは、フランスのニースで生まれた画家である。裸のモデルに絵の具をつけ、画面にその姿を直接写しとる彼の表現方法は、当時スキャンダラスな話題をふりまきながら、現代美術の新しい可能性を開くものとして受け入れられてきた。この作品は、その人体プリントの方法を使って描いたクラインの代表作である。まっ青な画面には、浮遊する人体と植物のある風景が描かれ、ファンタジックな表現である。クラインは、この画面の全体を支配する青の色彩を、全宇宙の空間と人間の悟りの境地を象徴するものとして、独特の意味をこめて使っている。つまり、この青の世界のなかにある人物たちは、青の象徴する意味に染められ、「空気のベッド」のなかにいるような自由さで空間を浮遊し、クライン自身が書きとめているような「一種の伝説の楽園」を表しているのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年08月09日掲載)
カテゴリー:作品
デュビュッフェとは?【 作家名 】 1901年フランスに生まれる。1985年没する。家業のワイン商を継いでいたが、1942年41歳の時、絵に専念する決意をする。1944年ドルーアン画廊で初の個展を開く。フォートリエに影響された厚塗りの絵画を発表し、賛否両論をまきおこして大論議を呼ぶ。同じ頃にアメリカでも発表され、おおむね好評を得た。知的障害者や霊、また原始の美術に興味を持つ彼の人間表現は、サロン的な洗練された芸術に対する強烈な告発である。その芸術は、生の芸術(アール・ブリュット)と呼ばれた。彼が生み出す、人間の純粋な欲望にもとづく原始のイメージは、大胆かつ独創的であり、フォートリエ、ヴォルスと共に、アンフォルメルの先駆者として高い評価を受けている。1966年以降は、ポリエチレンに彩色したオブジェや、各地のモニュメントも手がける。1968年には、テート・ギャラリー、アムステルダム市立美術館、グッゲンハイム美術館で、また69年にはモントリオール美術館、77年にはル・アーブル美術館で回顧展。1981年にはグッゲンハイム美術館で80歳記念の個展が開かれた。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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