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こどもとさかな 子供と魚
スペインは、ピカソ、ミロ、ダリなど今世紀の美術の巨人を生み出したが、彼らに続くスペイン美術の代表的作家の一人がこのアントニー・クラーヴェである。13歳からペンキ職人の徒弟として働きながら絵を学んだクラーヴェは、スペイン内戦の後移り住んだパリで同郷の先輩ピカソに出会う。この出会いが彼の画業にとって決定的となり、以後60年代までピカソの影響が強い作品を描いている。この作品は、暗い室内にいる子供と机の上の魚が、淡く白い光でほのかに照らされた美しい作品だが、その青く染まったような色調や、まるい顔の子供が着るアルルカン(軽業師)の服装などから、ピカソの青の時代の作品を思い浮かべることもできる。ピカソの直接的な影響を脱し、今日も現役で現代美術の新しい探究を続けているクラーヴェにとって、これは「原点」とも言える時期の作品なのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年11月01日掲載)
カテゴリー:作品
シャガールとは?【 作家名 】 1887年ロシアに生まれる。1985年没する。ユダヤ人であるが後にフランス国籍を得る。バクストの美術学校で学んだのち、1910年パリに出る。この頃から故郷の風物を好んでとり入れる。1914年ロシアに戻り、革命後は一時期美術行政にも関わるが、22年に再びパリへ戻る。1933年にバーゼル美術館、46年にはニューヨーク近代美術館、47年にはパリ国立近代美術館で回顧展が開かれた。第2次世界大戦中は渡米するが、1947年にはフランスに戻る。1950年にはチューリッヒ美術館、63年には東京と京都で、また67年には生誕60年を記念してチューリッヒとケルンで、それぞれ回顧展が開かれた。あざやかな青や赤や黄色を用いて描かれた、花々や動物、抱擁する恋人達は、重力をこえて空を飛んでいる。スペイン内乱やユダヤ人虐殺、2つの大戦を経た彼は、永遠の愛の神話を生み出そうとしたのであろうか。油彩の他、挿絵や版画、ステンドグラスなども手がけており、今世紀を代表する画家の1人として評価されている。ニースにシャガール美術館がある。 |
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