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こどもとさかな 子供と魚
スペインは、ピカソ、ミロ、ダリなど今世紀の美術の巨人を生み出したが、彼らに続くスペイン美術の代表的作家の一人がこのアントニー・クラーヴェである。13歳からペンキ職人の徒弟として働きながら絵を学んだクラーヴェは、スペイン内戦の後移り住んだパリで同郷の先輩ピカソに出会う。この出会いが彼の画業にとって決定的となり、以後60年代までピカソの影響が強い作品を描いている。この作品は、暗い室内にいる子供と机の上の魚が、淡く白い光でほのかに照らされた美しい作品だが、その青く染まったような色調や、まるい顔の子供が着るアルルカン(軽業師)の服装などから、ピカソの青の時代の作品を思い浮かべることもできる。ピカソの直接的な影響を脱し、今日も現役で現代美術の新しい探究を続けているクラーヴェにとって、これは「原点」とも言える時期の作品なのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年11月01日掲載)
カテゴリー:作品
デ・スティルとは?【 美術用語 】 1917年、テオ・ファン・ドゥースブルフが、モンドリアンの協力を得て、レイデンで創刊し、1928年まで編集にあたったオランダの美術雑誌名。デ・スティルは「様式」の意味。最終号は1932年、ドゥースブルフ夫人が亡夫を記念して発行した「ドゥースブルフ追悼号」(通巻90号)。この雑誌は初めはモンドリアンの新造形主義の原理をもっぱら扱っていたが、ドゥースブルフが執筆陣にダダイストやクプカを迎え内容が包括的になったことからモンドリアンは寄稿をやめ、1926年以降は造形されたものの効果や具体性を重視するエレメンタリズムが中心となった。このような経緯があるにせよ、両大戦の間で最も大きな影響を与えた雑誌である。また、デ・スティルの名称は、この雑誌に関係した芸術家、建築家のグループをも指し、彼らが始めた建築様式上の運動にも用いる。それは、キュビスムの影響を受け直角と滑らかな平面の組合せよりなる抽象形態と、色彩は原色と白、黒、灰のみを使用した純粋な抽象的造形を意図したものであった。 |
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