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われわれはここにいる 我々はここにいる
現代美術と言うと欧米の画家や彫刻家を思い浮かべることが多いかもしれないが、ラテンアメリカの作家も見逃せない。欧米の影響を受け、「現代」を同じように探究しながら、文化的背景を異にした独自の表現を見せてくれる。キューバ生まれのウィフレド・ラムもその一人である。彼は、スペインで生活した後、パリでシュルレアリスム(超現実主義)の作家たちと交流。この運動の後期を代表する作家となった。シュルレアリスムの幻想性とラテン・アメリカの伝統が混じり合った表現で知られる。人間や動物の変形した形が登場する「我々はここにいる」を見ても、土俗的な魔術や呪(じゅ)術に関心を示し、そのイメージを発想の源にした彼の作風を伺うことができるだろう。茶渇色の背景から浮かび上がる幻想的な「人物」たちは、ラテン・アメリカの精神の深みを示しているようだ。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年12月13日掲載に一部加筆)
カテゴリー:作品
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ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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