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われわれはここにいる 我々はここにいる
現代美術と言うと欧米の画家や彫刻家を思い浮かべることが多いかもしれないが、ラテンアメリカの作家も見逃せない。欧米の影響を受け、「現代」を同じように探究しながら、文化的背景を異にした独自の表現を見せてくれる。キューバ生まれのウィフレド・ラムもその一人である。彼は、スペインで生活した後、パリでシュルレアリスム(超現実主義)の作家たちと交流。この運動の後期を代表する作家となった。シュルレアリスムの幻想性とラテン・アメリカの伝統が混じり合った表現で知られる。人間や動物の変形した形が登場する「我々はここにいる」を見ても、土俗的な魔術や呪(じゅ)術に関心を示し、そのイメージを発想の源にした彼の作風を伺うことができるだろう。茶渇色の背景から浮かび上がる幻想的な「人物」たちは、ラテン・アメリカの精神の深みを示しているようだ。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年12月13日掲載に一部加筆)
カテゴリー:作品
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マックス・エルンストとは?【 作家名 】 1891年ドイツに生まれる。1976年没する。ボン大学で哲学を学ぶ。1912年「ラインの表現主義者」展に出品。キュビスムや未来派の影響を受けた後、1919年アルプ等とケルンのダダ・グループを結成し、過去の名画の改作やコラージュなどを試みる。アンドレ・ブルトンの招きで1921年パリで個展、翌年パリに移り、シュルレアリスムの代表的画家として活躍。1925年フロッタージュ(あてこすり)の技法を発明し、〈博物誌〉を制作、その後油彩にも応用する。第2次大戦中ナチに追われ、1941年ニューヨークに移る。オシログラフ(振動描画)の技法は、アクション・ペインティングの先駆けとなった。1929年に〈百頭女〉、1934年に〈慈善週間〉、などのコラージュ小説を刊行。タブローの他、版画や本の挿絵も精力的に手掛け、アメリカでは多くの彫刻を制作した。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で、絵画部門の大賞を得た。1958年フランスに帰化した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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