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かいこさくひんその2 -ぴんぽん・るーむ,1960- 回顧作品その2−ピンポン・ルーム, 1960−
グリーンは、極めて具象的なイメージを用いて、彼の家族の個人的な歴史を描き続けている、イギリスの画家である。この作品は、1961年の結婚を回顧したもので、妻メアリーを描いた自作、「花嫁」(1961年)に若きグリーンが見惚れている場面である。窓には結婚式の二人が写し出されている。彼の一連の作品は、日常的で大衆的で、時には微笑ましくもある。しかし、細密で明確な描写によって変形したキャンバス上に創り上げられたその作品は、彼の記憶を物語るための、単なる手段にすぎないのだろうか。若き画家の表情は、笑っているのか、怒っているのか、あるいは懐しがっているのか、何ともつかみどころがない。個人的なもので満たされた、一見、平和で親密な世界は、不気味に歪み、まるで魔法の鏡でものぞきこんでいるかのように、見る者の感情を波立たせ、どこか落ち着かなくさせるのである。(友井伸一「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年05月31日掲載)
カテゴリー:作品
分離派とは?【 美術用語 】 ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降、ドイツ・オーストリアの各地では、既存の保守的・閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動ができない、発表の場が与えられていないと考えた、進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身の協会や展覧会組織を持とうとし、相次いで新しく芸術家集団を結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されたグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年にシュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムトを会長とするウィーン分離派が、1898年に、リーバーマンの指導のもとにベルリン分離派が成立した。ベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家の出品拒否が原因で、1910年に再び分裂、新分離派が結成され、その最盛期をむかえた。分離派には特定の様式・理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。 |
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