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せかいちのみちへるまんかいせん 世界智の道:ヘルマン会戦
キーファーは、その活動を始めた一九六〇年代後半から、絵画や彫刻と並行して本を作り続けている。紙に写真や印刷物、砂などを貼り付けたもの、焦がした布や自分の絵画を裁断したもの、ドローイングや油彩で描かれたもの。それらが冊子の形に綴じられているが、印刷され出版されたものではなく、一点制作である。そんな、いわば本の形態をした作品と同時に、本を重要なモチーフとした巨大な作品も作っている。一九九一年、ベルリンのナショナル・ギャラリーでの回顧展で展示された作品(〈ツヴァイシュトロームラント〉、〈ケシと記憶〉、〈器の崩壊〉、〈夜の航海〉)は、鉄の本棚に鉛製の多数の本が並べてある巨大な作品、彫刻である。キーファーの作品には、常に祖国ドイツの過去やナチスにまつわる歴史を問い、告発する強い意志が込められている。彼が本に取り組み始めた当初は、同時期のコンセプチュアル・アートの動向と無縁ではなかったかもしれない。しかし、過去の事件や歴史、そして神や神話を追求していく上で、人間が積み重ねてきた知や教養、哲学や宗教の営みを象徴する「本」は、キーファーにとって、しだいに格好の表現の舞台となりモチーフとなっていくのである。一九七〇年代後半から、キーファーは「世界智の道」というテーマでいくつかの作品を残している。〈ヘルマン会戦〉もその一つ。ドイツの歴史と栄光を担った知識人や文化人たちの顔が木版画で刷られ、板のように分厚い紙に貼り付けられ製本されている。一ページをめくるにも骨が折れる。英知の象徴が集まっているからなのか、この本は存在感に満ちて、ずしりと重い。〈世界智の道:ヘルマン会戦〉では、それらが一枚の大きな画面に張り合わされている。中央には焚き火があり、炎が燃え上がっている。平然とした顔で並んでいるのは、哲学者ハイデッガーやカント、詩人のヘルダーリン、宰相ビスマルク、そして軍人やナチスの突撃隊員など。その炎は彼らを焼き焦がそうとしている。これは、ドイツの近い過去に起こったいまわしい出来事をとむらい、その遠因となったドイツの偉人たちを生けにえにする儀式の炎なのかもしれない。そして同時に、智そのものである書物を焼き尽くす焚書の炎のようにも見えるのである。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
新造形主義とは?【 美術用語 】 ネオプラスティシズム。20世紀前半の芸術運動。新造形主義の名称は、モンドリアン(1872〜1944)が、スフーンマーケルスの神秘的・超越論的思想とそれを幾可学的に表現する考えに影響を受け、彼の用語「新しい造形」(de nieuwe beelding)を引用しながら、色彩と線の純粋な関係が普遍的なものとして、絵画、彫刻、デザイン、建築を統一した原理で捉える見解を表明。1917年にドゥースブルフ(1883−1931)とモンドリアンが中心となってレイデンで刊行した『デ・ステイル』誌が運動の中核になった。1925年にモンドリアンは『デ・スティル』から離れるが、バウハウス、構成主義、ダダとも交流し、モホリ・ナジらが創刊した『i10』が両者の橋渡し役をはたした。絵画、彫刻、デザイン、建築といった幅広い分野に渡って影響を与え、20世紀の抽象芸術運動として大きな役割をはたした。 |
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