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こどもとおば 子供と伯母
パウル・クレー(1879-1940)は、スイスに生まれ、ドイツ、ミュンヘンの美術学校に学ぶ。初期は神経質でありながらダイナミックな線描で知られ、後に豊かな色彩を用いた作風へと変遷しました。キュビスム(立体主義)やシュルレアリスム(超現実主義)などの様々な要素を消化し、線と色彩の効果が十分に発揮された、高い精神性を持つ独自の画風を確立。理論家として多くの作家に影響を与えるなど、今世紀の巨匠の一人に数えられています。 この作品は、晩年に描かれたもので、小品が多いクレーの作品の中では大きな作品です。大まかな線で単純化された人体の形態、柔らかで明るい色の配置が生み出す穏やかなリズム、児童画を思わせるような素朴な要素、そしてクレーの心情が伝わってくる様な親しみやすさなど、クレー芸術の集大成がなされた作品の一つです。またこの作品は、クレーの主要な展覧会にたびたび出品され、美術出版社出版の『世界の巨匠シリーズ クレー』にも図版が掲載されるなど、クレーの特質が十分に表された代表作の一つと言えます。
カテゴリー:作品
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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