データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
うつくしいじてんしゃのり 美しい自転車乗り
フェルナン・レジェ(1881-1955)は、フランスに生まれ、1900年パリに出て画家を志す。後期印象派、キュビスム(立体主義)、フォービスム(野獣派)などの影響を受けながら、形と色の対比が生み出す量感のある明快な作風を確立しました。壁画、彫刻、版画、映画など様々な分野でも活躍し、戦後のポップ・アートにも影響を与えたと言われ、今世紀の巨匠の一人に数えられています。 自転車はレジェの好んだ題材ですが、4人の人物が自転車を携え休息しているこの作品には、余暇を楽しむ都市生活者や機械文明を象徴する自転車などを通じて、近代生活を楽観的にとらえたレジェの特質がよく表れています。同じ題材の作品は、習作も含めいくつか制作されています。パリのポンピドゥ・センターや国立レジェ美術館に代表作が収蔵されていますが、この作品は、レジェの主要な展覧会にもたびたび出品され、三省堂出版の『西洋絵画作品名辞典』にも掲載されるなど、レジェの代表作の一つと言えます。
カテゴリー:作品
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
キルヒナーとは?【 作家名 】 ウィーンでエレガントな有閑マダムや高級娼婦を描く絵描きとして出発、その後、1900年頃にパリへ移住、肖像画家として活動するほか、雑誌(特に「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」)や単行本の挿絵を描いた。一時ロンドンにも滞在し、そこで「ザ・スケッチ」の挿画を描いていた。世界大戦勃発後、彼はニューヨークへ行き、主に女性を描く肖像画家として活動した。キルヒナーが知られているのは、サロン、バー、ナイトカフェなどにたむろして、一種エロティックな仕草をしたがる刺激的な女性たちの絵描きとしてであり(「玩具」、「サルタンの妃」、「青春」、「引っ張られるアモール」)、また、‘キルヒナー・ガール’の呼び名でポピュラーになったモンマルトルのやくざ女の代弁者としてである。1904年、彼はミュンヒェン水晶宮の展覧会に「ウェスタの処女」を出品した。フランス美術協会のパリ展には、1906年、婦人肖像画、1913年、「釈放」、1914年、「御託宣」を出品した。また、パリのユーモリスト展にも多数の水彩画を出品した。彼の水彩画のカラー複製は、特にマックス・ヘルツベルク書店(ウィーン)から出版されている。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||