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きき・ど・もんぱるなすのますく キキ・ド・モンパルナスのマスク
1881年スペインに生まれたガルガーリョは、十四才で彫刻家の修業を始め、一生涯、彫刻に打ち込んだ。パリでピカソやキュビスムの画家たちとボヘミアン的生活を共にし、金属彫刻に新しい道を開く。今世紀初頭のパリは、新しい芸術の坩堝と化していたが、その中でガルガーリョは、キュビストの空間把握と呼応しながらも、あくまで彫刻家としてヴォリュームの表現に腐心しつつ、自己の様式を模索する。そうした彼の造形の特徴がこの作品にもよく表れている。顔立ちは大胆に簡略化され、頭部はえぐり抜かれているが、豊かな量感と堅実な造形力によって、モデルの個性が余すところなく体現されている。宝飾品を思わせる洒落たディテールと研磨されたブロンズの輝きは、ある種の気品をこの作品に与えている。これは、当代きっての人気モデルであり、ピカソやフジタ等多くの画家に描かれた、エコール・ド・パリの華、キキに捧げられたものである。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年11月29日掲載)
カテゴリー:作品
岡本太郎とは?【 作家名 】 1911年東京都に生まれる。1996年没する。父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。1929年東京美術学校に入学するが半年で退学、同年フランスに渡り、パリで「アブストラクションニクレアション(抽象・創造)」などの前衛運動に参加する。1940年帰国。41年の第28回二科展に滞欧作を特別陳列し二科賞を受賞する。戦後は一時二科会会員となるが、旧套な画壇に叛旗をひるがえし、一貫して批判的立場を保つ。1950年代までは社会的諷刺のイメージが強い作品を制作するが、60年代からは激しい筆触で人間の原型を思わせるような抽象形態を描く。1970年代日本万国博覧会の〈太陽の塔〉、76年パリの国際会議センターの壁画など、工芸的な仕事や彫刻にも意欲的に取り組む。縄文土器をクローズアップした『日本の伝統』(1956)ほか、『私の現代芸術』(1963)など著作も数多く、『忘れられた日本』(1961)は毎日出版文化賞をうける。(「ピカソと日本」図録 1990年) |
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