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きき・ど・もんぱるなすのますく キキ・ド・モンパルナスのマスク
1881年スペインに生まれたガルガーリョは、十四才で彫刻家の修業を始め、一生涯、彫刻に打ち込んだ。パリでピカソやキュビスムの画家たちとボヘミアン的生活を共にし、金属彫刻に新しい道を開く。今世紀初頭のパリは、新しい芸術の坩堝と化していたが、その中でガルガーリョは、キュビストの空間把握と呼応しながらも、あくまで彫刻家としてヴォリュームの表現に腐心しつつ、自己の様式を模索する。そうした彼の造形の特徴がこの作品にもよく表れている。顔立ちは大胆に簡略化され、頭部はえぐり抜かれているが、豊かな量感と堅実な造形力によって、モデルの個性が余すところなく体現されている。宝飾品を思わせる洒落たディテールと研磨されたブロンズの輝きは、ある種の気品をこの作品に与えている。これは、当代きっての人気モデルであり、ピカソやフジタ等多くの画家に描かれた、エコール・ド・パリの華、キキに捧げられたものである。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年11月29日掲載)
カテゴリー:作品
帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 |
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