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じょせいりゅうぞう 女性立像
ジャコメッティは、スイスの小さな山村スタンパに生まれ、フランスのパリで制作した彫刻家、画家である。彼の作品は、この〈女性立像〉にみられるような細く、鋭く削られた人間像の表現を特徴としている。ジャコメッティは学生時代、目に見えるものを見える通りに表現することに絶望し、想像力を重視する作品を制作した。この細い人体の表現は、彼がキュビスムやシュールレアリスムを経て到達した独自の世界なのである。〈女性立像〉は、彼が51歳の最も充実した時期の者であり、主要な作品の一つとして知られている。この表現が意味するものは、人間社会の疎外感である。人間の身体が少しずつ削られていき、最後は骨のようになった姿は、現代社会の心のさまを象徴的に表している。さらに彼は、この細長い体の中に、人間実存の意味を凝縮している。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年06月14日掲載)
カテゴリー:作品
ブラックモンとは?【 作家名 】 パリに生まれたブラックモンは、日本美術の影響を受けた最初の西欧の芸術家と考えられている。鳥と花が描かれた版画の劇的な構図の効果や、ルソーの食器セット(1866年)のデザインに、ジャポニスムの影響が現れており、おおむね北斎の絵本類から着想を得たものである。ジャングラール協会という日本美術の研究を唱道する芸術家、批評家の集団の創立メンバーとして1860年代半ば頃、毎月会合を開き、フィリップ・ビュルティ、ザカリ・アストリュック、アンリ・ファンタン=ラトゥール、ジュール・ジャックマール、M・L・ソロン、アルフォンス・イルシュらと日本美術について語りあった。1874年に日本の多色刷木版画を真似た最初の多色刷エッチングを制作した。多くの画家や版画家との交友を通して日本美術の喧に努め、テオドール・ルソー、オーギュスト・ルペール、アルベール・ベナールら多くの画家にエッチングを教えた。1889年、アンリ・ゲラールやフィリップ・ビュルティと共に画家=版画家協会年次展覧会創立に貢献した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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