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ちゃくいのよこたわるははとこ 着衣の横たわる母と子
イギリスのカースルフォードに生まれたヘンリー・ムーアは、20世紀の彫刻家の頂点に立つ一人である。ムーアの彫刻は、半ば抽象化された形態を用いながらも、その表現には、生命の尊厳、自然への回帰、平和への願いがこめられた、極めてヒューマンな要素を含んでいる。「着衣の横たわる母と子」に見られる母子像は、彼が好んだテーマであり、いくつもの忘れがたい作品が残されている。そのなかでも、これは代表的なものの一つといえるだろう。どっしりと横たわる母親の姿は、豊かでたくましい。その腕に抱かれた子供は、小さくかわいい姿で母親に寄り添っている。この母と子の見事な対比によって、母親の母性と温かな愛情、命の尊さが力強く表されている。そして、作品のもつ大きさが、母と子の姿をモニュメンタルなものとし、一層印象深いものとしているように思われる。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年05月17日掲載に一部加筆)
カテゴリー:作品
シニャックとは?【 作家名 】 新印象主義の代表的な理論家シニャックは全くの独学で画家となっている。1880年代には、印象派のモネ、シスレー、ルノワール、ギョーマンらの影響を受けていたが、1884年にスーラの作品を見、さらに1885年にカミーユ・ピサロと息子のリュシアンに出会ってから、本格的に点描法を取り入れ、色彩論を学び始めた。ルイ・ゴンスがジョルジュ・プティ画廊で1883年に開いた日本美術回顧展やパリで開かれたその他の日本美術の展覧会(たとえば1883年と1884年の装飾美術中央連合での日本画家年次展を確かに観ているにもかかわらず、彼の作品にジャポニスムの影響が現れたのは1885年から1886年頃である。ピサロ父子やスーラ(スーラは1885年頃から日本美術の影響を受けている)や、1887年にパリで出会ったゴッホとの親交によって、彼の極東への関心は高まっていった。1885年に版画を始め、まずエッチングの制作を試み、ついで1888年に、新印象主義色彩論を取り入れた多色刷石版画を制作した。彼は浮世絵版画に見られるような大気の明るさと色彩効果を版画に表現しようとした。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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