![]() |
|||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||
|
こどくなしじん 孤独な詩人
イタリアの画家、キリコは、非現実的な物の奇妙な配置によって夢を現実化する、神秘的で瞑想的な作風で知られる。彼は、1917年パリで形而上学絵画派を提出した。またシュールレアリスムの先駆者の一人としての評価も高い。この作品は、彼の絵画にもよく現れる、マネキンのような人体を表したブロンズ像である。やや左に体をねじり、少し首を傾けて腰かける詩人の体は、各部分を互いにはめ込んだり、ネジや波形のハンドルで結合したりすることによってできているように見える。それは、キリコが自らの感情を切り崩し、それらを再びつなぎ合わせることによって生まれたのである。造形のこの危うい均衡は、その回りの音を遮断し、更にそれを見る者の感情までも切断してしまうだろう。しかし、それと同時に、キリコ晩年のこの作品は一種の落ち着きを示している。また渦巻模様や浅く腰かけた姿勢も愛らしい。(友井伸一「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年06月07日掲載)
カテゴリー:作品
分離派とは?【 美術用語 】 ラテン語の動詞SECEDO(分離する)を語源としたヅェツェッシォーン。「分離派」と訳されている。19世紀末以降、ドイツ・オーストリアの各地では、既存の保守的・閉鎖的な芸術家協会等の機構のなかでは自由に発表活動ができない、発表の場が与えられていないと考えた、進歩的な芸術家たちが、官営事業化している展覧会とは別に、彼ら自身の協会や展覧会組織を持とうとし、相次いで新しく芸術家集団を結成した。「ヅェツェッシォーン(分離派)」とは、こうして結成されたグループにつけられた名称である。最初の創設は、1892年にシュトゥック、トリュブナーらを指導者としたミュンヘン分離派である。1897年には、クリムトを会長とするウィーン分離派が、1898年に、リーバーマンの指導のもとにベルリン分離派が成立した。ベルリン分離派は、「ブリュッケ」のメンバーを含む表現主義作家の出品拒否が原因で、1910年に再び分裂、新分離派が結成され、その最盛期をむかえた。分離派には特定の様式・理念はないが、建築・デザイン史からは、近代運動のひとつとみなされることもある。 |
||