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はんがしゅうりるけまるてのしゅきよりいちぎょうのしのためには17あいにみちたおおくのよるのかいそう 版画集〈リルケ『マルテの手記』より:一行の詩のためには…〉17. 愛にみちた多くの夜の回想
ドイツの詩人リルケの唯一の長編小説『マルテの手記』に想を得たもの。リルケのパリ時代の日記、手紙、備忘ノート、断片的感想などを一冊にまとめあげた手記のような小説。デンマークの貴族の家に生まれた若き無名の詩人、主人公マルテを通じて語られるリルケの内的な黙想の記録。ベン・シャーンは、この詩の言葉から生まれた断想を絵にした。「詩は感情ではなく経験である」というリルケの言葉に深く共感していたシャーン。若いころに出会い、終生愛読した『マルテの手記』を、シャーンは詩の前年にようやく作品化したのである。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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